今日面会に行くと、ととさんが急に歌を唄いだした 。

ムクッと起き上がり、ちょこんと座り直し急に
「ヨーエ サノ マッガショ エンヤ コラマーガセ エエヤ エーエヤ ~」と最上川舟歌を
唄いだしたのだ。
「ととさん、ここで踊りましょうか?」と言うと看護師さんが笑い出した。

私が子供のころ、民舞を習っていたので、この唄が発表会などで流れるたびに
「いいねぇー」と言っていた ととさん。なにか思い出したのか。

数日前に、母が看護師さんに呼ばれた。
「もし、自宅に帰れるとしたら今ぐらいの内だと思いますので
ご希望でしたら、手続きを取りますが・・・」と言われたらしい。

一日中点滴をして、モルヒネ投与もし、
吸引もしなければ呼吸も楽にならないのに、どうして帰れるのかと
疑問だったが、外出許可がもらえるほど回復したのならと、
いくつかのクリアーしておきたいことを
逆に質問したところ、主治医と連絡を取ってみるとの話で、
返事を待っていた。

すると、先生が来てくれてつまるところ「お家に一度くらいは帰してあげたいけどね・・・・
という話はしましたが、医学的から言って、それは難しい状態です」と言われました。

「はい。リスクを負ってまで家に連れて帰ろうとは思っていませんが・・・
あの?あれ?家がどうしても連れて帰りたいと申し出たわけではなく、
看護師さんから、どうですか?と打診されたので、じゃぁ、
いい機会なのでと申し上げただけですが」
と返事すると、先生が大変恐縮されて、帰って行きました。

主治医と看護師の間の連携が取れていなかったようで。

『医学的に見て、家にはもう帰れない』

帰れるほどにまで、回復したのかと思って喜んでいたら、
余計に「あぁ、もう絶対だめなのね」と思い知らされた瞬間でもありました。

残された時間、ととさんとまともに会話したい。
色々話しておきたいのに。
会話にならない、この副作用はなんとかならんのか。

そして今日、母と二人で斎場を見学してきた。
あと、私らが最後にしてやれることは、ととさんらしい、ととさんが喜ぶような葬儀を出してやることだ。

場所は、自宅からは遠いが、ととさんが長年勤めた会社がある町で
福島からくる、親戚の交通便がよい上野近辺で探した。
というか、偶然ネットで見つけた斎場がそこだったのだ。

祭壇は飾らず、花祭壇にする。
親戚縁者が泊まれる部屋があること。
ゆっくりとお別れが出来るように、24時間滞在できるところ。

こんな我儘出来るところがあるだろうかと思っていたところ・・・ありました。

2日間ワンフロアー貸切、リビング風の造りで、
同じ部屋に宿泊する部屋、お風呂もあり、24時間故人に付き添って
あげることができる理想の斎場でありました。

斎場というより、旅館やホテルに泊まりに来たような感じの部屋でした。
あまりにも理想的で「ととさんに見せてあげたかった、ここでやるんだよ。この町でって」と
思わず涙声になってしまいました。
ととさんなら、きっと気に入ってくれて「ここでやりたい」って言ったに違いありません。
家の場合は、斎場選びが遅すぎましたね。

ただ、親戚の一部が騒ぎそうです。
祭壇もない家族葬だなんてと。見慣れないだけなのに。
早速今日、苦情の電話をいただきました。
まだ、ととさん死んだわけじゃないのに。

今日のととさんの一言
「俺は知っているんだ。裏話を全部。裏話だぞ」
前後の脈略もなく、裏話。
なんの裏話だよ!!

『心の準備も』