ととさんが入院して、一週間以上たったわけだが、
毎日めまぐるしくて、仕事をしていても、病院にいても
時間の感覚がおかしくなっていて、暗くなって明るくなって・・・くらいしかわからず、
同じ日をグルグル繰り返しているような気がする。

入院してしばらくは、検査が続き、
なんとか自力で食事をしていた。
兄が見舞いに来た翌日あたりから、様子がおかしくなり、
自力で何かをすることが出来なくなっていた。

2月14日に主治医に呼ばれて、腹水がたまり、病状もよくなく
あと持って2か月と余命宣告された。

去年、緩やかな余命宣告をされたが、いきなり2か月と聞かされると
何をどうすればとオロオロするばかりだが、
母が「苦しまないように、とにかくそれだけです」と言うのがやっとだったと聞かされた。

14日を境に、一気に病状が進み、目を開けることもできなかった。
話しかけると、返事もしないが、看護師さんが名前を呼ぶと
元気よく返事をしていた。

「ひどくないですか?私が話しても返事もしない」とブリブリと私が怒ると
看護師さんが笑っていた。
身体が辛くても、なんとか「おどけてみせよう」とするので
かえって痛々しい。

食事が運ばれてきたので、メニューを見ると、お祝い善の日だった。
入院患者さんの、その月の誕生祝をするためのメニューで
なんと赤飯が出てきたのだ。

『お祝いってさ・・・』となんともやりきれない気持ちで、
父親の口に、赤飯を運ぶ。
すると小さく開けて、やっと食べると
「うん、美味い。これは美味いぞぉー」と目も開けずに
うわ言の様に言うのだ。
菜の花のお浸しに、すまし汁を少し飲ませた。
子供のお食い初めのようだ。

そのあとも、看護師さんが薬を持ってきて、飲むように口を開けさせると
ガリガリと薬を噛んでしまった。

そのあとで飲ませた水が美味しいと、噛みしめながら飲んでいた。
もぉ、水だが食べ物だか分からないのだが、
反応的に口に入るものは噛もうとするのだ。

病院から出て、たまらず泣いてしまった。
『たった一日で、こんなにも悪化するもの?』と
悔しくて、悔しくて、覚悟が出来なくて、出来なくて、
ただひたすら、歩いて家に帰った。

不思議なことに昨日の日曜日と、今日は、意識がはっきりしており、
受け答えができるようになった。
「お父さんが喋れるから早くおいで」と電話がかかってきて、
脱兎のごとく病院へ行った。

今日は親戚筋が来てくれて、ととさんに面会した。
思ったより喋るし、笑うしで「今日は本当にうれしい」と連呼し、
叔父も叔母も涙を流していた。

ラシックスとソルダクトンを点滴したおかげが、かなりの尿が出て
腹水も一時より少なくなったので、肺の圧迫がなくなったのか
呼吸も楽になったようだ。

今日は自力で寝返りをして、ベット移動のために
車椅子に乗ったが、咳き込むこともなく普通にしていた。

良くなったり悪くなったりの繰り返しで・・・と聞く。
これから半休などさせてもらい、
色々とその準備をしなければ。

『ととさん』