ひねもすミシン

人生日々ぶつかり稽古 洋裁作品をUPしています。 他に旅行記や闘病記なども。

2016年07月

術後1週間たって

乳癌手術を終えて、1週間経ち、
そうそうに復職している。

一仕事(手術)を終えての感想としては、

「風邪をひいたように、癌になった」と言うことだ。

特別になにかあったわけでもなく、体調不良だったわけでもない。
なのに、ある日突然「乳癌」になっていた。

父親が直腸癌になり、自分も癌になるかも?と思い、
癌検診を受けるようになったが、
そうでもなかったら、きっと検診も受けなかったろう。

術前に気になっていたことを書いてみる。

Q:今回の手術代はいくらになるだろうか。

A:健康保険限度額適用認定書を事前にだしていたので、
  6万円でおつりが来ました。
  ただし、これに室料の差額代、病院食代、病院着レンタル代をいれると
 9万円でおつり・・・となりました。


Q:術後の傷の痛みはどうだろうか?

A:手術直後の痛みの方が、まだましだった。
  傷口というより、左胸全体、特に腋の下、腋の周辺が
 火傷をしたように、ヒリヒリと痛む。
 このような痛みでも、処方された痛みどめを飲むのか?
 ということで、いつもなんとなく我慢してしまう。
  傷口がツレて痛むようになる。


Q:術後は腕が上がるだろうか?

A:術後のリハビリ体操をしたあたりから、
  かなり上まで上げられるようになった。
  傷の場所や、傷の大きさにもよるのだろが、
 左胸左上、腋の下、リンパがあるあたりから6センチ切ったのだが、
 それでも案外、腕が上がる。
 リンパも取っていないからだろう。


Q:被りの洋服は着られるだろうか?

A:腕を上げられないので、前開きの洋服しか着られなくなるのでは・・・
  と思っていたのだが、腕が上がるようになったので、問題ない。
  ただし、着るより、脱ぐときのほうが、多少痛みがある。

 
Q:今までの下着をつけられるだろうか?
 
A:ワイヤー入りのブラは絶対的に無理だった。
  なにしろ、腋の広範囲に痛みがあり、また傷口周辺が固くなている。
  痛みが酷くて、すぐに外した。
  ワイヤー周辺に小さな穴をあけて、ワイヤーを取りだし、
  ノンワイヤーにしてみたが、やはり締め付け感が痛い。


Q:ユニクロのブラトップは使えるだろうか?

A:ドレーンを入れていたところの傷が、丁度アンダーゴムの所になり
  痛みを感じた。Mサイズはピッタリだったので、
  Lサイズも買っておいたが、Lサイズでも同じ。
 また、カップが少し浮くので、乳頭あたりが擦れて血が滲んだ。
 使えなくはないが、これ一本でやっていくのは、いささか考えものかと。


Q:1週間くらいで、仕事復帰できるだろか。

A:実質、入院から復帰まで9日間の休みをもらったが、
  問題なく復帰できた。
  事務仕事と力仕事がある職種なのだが、
   1カ月は重い物を持たないように言われていたので、こちらは控えた。
  事務仕事で、PCを使って入力していたのだが、腋の下が固まった(笑)
  同じ姿勢を続けていたからだろう。
   伝票をめくっていても、胸筋がピクピクする。
  段ボールの蓋が開けられなかった。


術後の痛みについては、結構悩みの種です。
腋の間に雑誌を挟んで歩いているような感覚があり、
始終、腋の下に物を入れられているような痛みがあります。

今は下着の悩みがあるので、ソフトブラを探しています。
この先、症状が改善されるとは思いますが、
圧迫されないものを選んで行きたいと思っています。

傷口の保護として、サージカルテープを貼るように言われました。
傷口が長いので、一本のテープで貼ってみましたが、
動くとテープが凸凹になり、そのまま皮膚に跡が付きました。
手間がかかりますが、短く切って、傷口に直角になるように貼る
方法がやはりベストだと思います。 

看護師さんに言われた
『あとは、時間薬が必要ね』という言葉どおり、
焦らず、時間をかけて直して行きたいと思います。

今、窓の外をみたら、二重の虹が出ていた。

『きれいだね』



 




 

術後の生活

2016年7月22日(金)

今回の入院で、便利と思ったのが、ガーゼ類だったと言う事。
大き目のバスタオルを入れたところ、ことのほかかさばり、
致し方なく、ガーゼのバスタオル、フェイスタオル、ハンドタオルを
用意したところ、これが洗って干しておけばすぐに乾く、
かさばらない、と本当に重宝した。
ちなみに、表地がガーゼで、裏地がタオルのようなものではなく、
ガーゼのみの素材です。

夜中に看護師さんが、数時間ごとに体温や血圧、傷口の確認にくるので、
寝たかな?と思うと起こされた。
0時になったところで、2回目の痛み止めを点滴してもらい、
水を飲むことが解禁となり、飲ませてもらった。

ペットボトルにストローを差してくれた。
そのストローをどうするのか見ていたら、
蛇腹の部分を折り曲げて、ペットボトルの中に入れて蓋をした。
『ほぉー、なるほど。わざわざストロー付のペットボトルの蓋を
買わなくても良いではないか』と妙に感心。
再度飲むときは、指でちょこっと出せば飲める。

朝5時過ぎになると「起きる準備しましょうか」と
リクライニングベッドを上げて頭を上げる。
しばらくして、マッサージ器を外して、ベットの縁に足を掛ける。
その時点で眩暈がし、吐き気をもようした。

なんとかこらえて、立ち上がり、ブラブラと歩いて
トイレのあたりまで歩き、またベットに戻った。

そのあとから猛烈な吐き気に襲われ、何度か吐いた。
麻酔の後遺症だろう。
吐き気止めを内服でもらったが、飲んだそばから吐いたので
カプセルが出てきてしまい「点滴でお願いします」と頼んだ。

生食50mlにプリンペラン。
頼むプリンさん、早く効いてくれ。
ドレーン以外の管が抜けたので、身軽になったが、
どうにも気持ち悪い。
「痛みはどうですか?」と聞かれたので、
「吐き気が酷くて、痛みが分からず、出来れば痛み止めも点滴で」と
お願いした。

ふせったまま昼を迎える。
昼食も食べられず、母が見舞いに来ても正体なしの状態。
それでもなんとか歩いて、気持ち悪さを飛ばそうとしたが、
グログロな状態。

夕食も食べられず、母が見かねてヨーグルトやプリンを買ってきた。
半分だけ食べて、再び吐き気止めを点滴してもらう。

リハビリやら、退院後の生活についての勉強会やらが
あったそうだが、どれも不参加。
一日寝て過ごした。

実際、吐き癖があるらしく、吐いて楽になるどころか、
一度吐くとそのまま引きずってしまうのだ。

7月23日(土)

朝起きると、空が茜色。
日の出だろうか。4時台だった。
起きたときには体がとても楽になっており、吐き気も無い。
廊下にでて、朝日のパワーを浴びようと、両腕を少し上げて、
全身に朝日を浴びてみる。

トイレに行った帰りに、点滴針の保護テープが痒いと言うと、
「水が飲めるなら、もう取っちゃいましょう」と
処置室に連れて行かれ、やっとの事で点滴針を抜いてもらうことになった。

朝食は半分くらい食べられた。
食べられたら勝ったも同然、バリバリに体が動きだし、
回診時、元気そうにしていたら、
早々にドレーンを抜いてくれた。
ただ引張っていくだけ。偉い長く入っており、
胸の中で何かズルズルと抜ける感じがする。
気持ち悪くて、怖いので、ドレーンが抜ける様子を自分で見ていた。
『これだけ長く入っていたら、ズルズルした感じがするよな』
納得したら、気持ち悪くなくなった。

「傷はすぐにふさがりますから」と言われ、
実際昼過ぎには、引っ掻き傷の様になっていた。

散歩に行ったり、リハビリ運動に参加したりと活動し始めた。

部分切除で軽い人たちは、すでに4日目で退院許可が出たそうだが、
生命保険は大体5日以上からなので、もう1泊すると言っていた。

復活した娘を見て、母が異常に喜び、
家から持参した、弁当を差出し、食べろ食べろと
病院食と弁当を広げて胃袋の許す限り、食べつくした。

「食べたから寝る」

と昼寝をし、そのあと、母と二人で
庭を散歩した。外気は気持ちがいい。

「散歩したから、寝る」と言い、母が帰って行った。
寝て起きるたびに元気になる。

夜は廊下をウロウロして散歩した。
反対側の部屋は夜景が綺麗なので、そちら側の廊下をウロウロ。
夜景が綺麗なら、消灯後も楽しみがあったろうに。

7月24日(日)

朝になり、お仲間さんと庭の散歩に出た。
朝食を食べると、母が早々に迎えに来てくれた。
10時前には病院を出た。

病理結果は来月末には出るそうだ。
結果によっては、再手術で全摘出、または抗がん剤治療や
放射線治療、ホルモン療法などの今後の治療方法が分かるだろう。

ある意味、癌告知よりも気が重い。

『本当の癌生活が始まる』




乳癌手術当日

2016年7月21日(木)

手術は15時からなので、ほぼ一日待機となった。
家族は術前1時間前には来るようにと言われていた。

朝起きてからは禁食となっていたので、水分だけ補給していた。
ほどなくして、先生がマーカーを持ってこられて、体に印をつけられた。
ベッドサイドに座って、
胸のラインや、みぞおち などに書き込みされ、
まるで子供に落書きをされたよう。

昨日選んだ胸帯について。
術後、ブラはできないので、胸帯を1つ買うことを義務づけられた。
試着してから買うのだが、色々な会社から出されていた。
すべて前開きのものだが、ブラ型や、お腹のあたりまですっぽり隠れる
幅広タイプまで色々ある。
開け方も様々、プラスチックのスナップタイプ、マジックテープタイプ等。

マジックテープは開け閉めに楽だが、肌が弱いので、
硬い部分が当たって、赤くなりそう。
また、前かがみになった時に、テープがミゾオチに当たり、少しばかり気になった。

プラスチックのスナップタイプは、1つ1つはめるのに手間がかかる。
しかしながら、かがんでも、ミゾオチにあたらず、苦しくなかった。

お腹あたりまで隠れる幅広タイプは付け心地はよかったのだが、
スナップボタンが増えるので、手間になる。

結局、ワコールリマンマの前開きタイプのダルワイン色を購入した。
サイズは、Lサイズで、アンダーに指2本が入るくらいが良いと言われた。

14時なると、母、兄が揃いしばらくは病状について説明。
兄も良く理解してくれ、術後先生に確認しておいてほしい事などを確認した。

15時なっても呼ばれる気配がない。
術前1時間前になって、水分も取らないように言われ、
手術着を渡された。

紙のショーツを履き、手術着に着替え、
靴下も脱いで待っていると、16時からだと告げられ、ベットの上で待機。

バスタオルやフェイスタオル、T字帯などを袋にいれて準備すると、
タオル類はいらないと言われ、T字帯だけベットの上に置くように言われた。

名前を呼ばれ、歩いて手術室まで。
扉の前で家族と別れ、中待合室で軽い問診があった。
緊張することは無く、社会科見学のよう。

案内された手術室は、肌寒いくらいの室温。
手術台に座ると、とても暖かく、早く手術台に横になりたいと思いました。
何をするのにも、声をかけられ、今から何をするのか説明してくれる。
点滴針を刺される。

セファゾリンNaバック、ビカネイト500mlの点滴が下がっている。
「あれだけ?」
これから手術するというのに、抗生剤と輸液のみ?
しかも1000ml じゃなくて、500ml?どんだけ短時間で終わるんだ?
等とゴチャゴチャ考えていると、
酸素マスクを、軽く口に添えられ、「麻酔薬使っていきますからね」と
声を掛けられ、ほどなくして体が重くなり、
カメラの焦点が絞られるように暗くなり、次に声を掛けられたときは、
手術が終わっていた。
 
「しろみさん、終わりましたよ。これからベットに移しますからね」と
声を掛けられると、

「あぁー、よく寝たぁー」と声をだしてしまった。
笑いが起こる。
そりゃ、そうだ。

「今何時ですか?」と聞くと「18時30分です」という答え。
兄がこの後、仕事に行かなければならないので、気になっていたのだろ。
わずか2時間半の手術。

手術台にあがり、5分とかからず眠りにつき、すぐに起こされ
部屋にもあっという間に戻ってきたという感覚。

実際、部屋に戻ってから家族が呼ばれるまで30分以上たってからだそうだ。

兄が荷物を取りに部屋に入ってきた。
それには気が付いたので、声をかけた。
「転移してなかったぞ、大丈夫だ。頑張れよ」と握手してくれて
兄が帰って行った。

次に母が来て、同じことを言い、ほどなくして帰った。

輸液はソリタT3号に変わり、
「痛みはどうですか?」と聞かれたので、
「地味ーに痛いです」と答え、とりあえず、痛み止めをお願いした。
生食の50mlのプラボトルが白くなっていた。
『ロピオンか・・・』
何か頼りないと思っていたら、案外早くに効き始めた。

主治医の先生が、傷口の確認に来られた。
「しろみさん、お疲れ様でした。転移はしていませんでしたからね」
と先生に言われ、
『あぁ、良かった・・・』とやっと安心して
「ありがとうございました」と答えるのがやっとだった。

エコノミー症候群を防ぐためのエアーマッサージ機を
両足に取り付けられ、
『明日、足が細くなってないかなぁー』と考えながら、
また、ウトウト眠りにつく。

目が覚めると1時間足らず、またウトウト。
長い長い夜が始まりました。

『皆様お世話になりました』

乳癌手術のために入院初日

2016年7月20日(水)

 前日半休を頂いて、取れてしまった仮歯の補修をした。
母が夏風邪をひいたので、一人で入院手続きに。
 申込書や問診票を提出して、病棟へ上がる。

身長と体重を量り、部屋へ通される。
私を覗く全員が抗がん剤治療中らしく、ベットでふせっていた。
 挨拶する雰囲気もなく、窓際のベットに通され病院着を着て待機。
差額ベット代が生じるのだが、やはり療養中は外を見られると気分が晴れて、
心持も違うような気がする。

 待機していると、本日のスケジュール表を貰い、
重要な検査が並んでいる。
同意書の提出やら、新しい同意書にサインなど、事務的手続きをする。

 A4の見開きのクリアファイルと、通常のクリアファイルを用意。
透明のクリアファイルにスケジュール表を入れてベットの机に置く。
万が一水がこぼれても濡れないのと、片づけやすいので。

 A4の見開きのクリアファイルには、
左側のポケットに同意書の控え、
右側に説明書や注意事項の紙を保管。
それをA4サイズのエコバックに入れてS字フックにかけてベットサイドに掛けた。
 わずか5日間の入院だったが、書類やらが見る見る増えてしまった。

 磁石が付いた、ペン立ても用意したが、
ベット周りで磁石が付くものが1つもない。
今時は抗菌仕上げとなっているので、鉄物はないのだろう。
ベットの机に、ボールペン、歯磨きセット、箸入れ、メモ用紙を入れて
立てておいたのだが、大いに役立った。
 自己管理で、熱を測って用紙に記入したり、
食事がどのくらい取れたかを記入したり、
同意書に記入にとペンを使う機会が多かったので。

 しばらくすると、エコー室に呼ばれ、
切除する腫瘍にマーキングされた。
 ほどなくしてお昼を食べた後、
一番肝心なセンチネルリンパ節検査の注射をするために、レントゲン室へ。

明日手術を控えたお仲間さん達に会う。
 センチネルリンパ節生検開始。

センチネルリンパ節とは、リンパ管に入った癌細胞が、
最初にたどりつくリンパ節であり、
癌細胞のリンパ節転移を見張っている、見張り番のようなものだ。
手術前に、腫瘍近くにラジオアイソトープや色素を注射し、
手術中にセンチネルリンパを探し出して摘出し、
このリンパ節に転移していなければ、転移なしで、
それ以降のリンパ節を取らなくても良くなる。

センチネルリンパ節の注射は痛いと聞いていたが、
筋注と同じくらいの痛みだろうか。
インフルエンザの注射を胸にするような感じ。
既に針生検や、バコラ生検をしたので、同じくらいなのかなぁ・・・と想像。
事前に痛みが伴うことを説明される。

「4回痛みがありますが、楽にしていてください」
 刺す感覚をあけてではなく、
たてつづけに刺すのでそれほど心配することもなかった。
刺した後に、刺した患部をアルコール面でブリブリと揉まれる。1分間。
筋注した時にするブリブリと腕を揉むのと同じだ。

痛みの感想として、私は2回くらい、
「痛いって!!」と思いましたが、
事前にブログ等で読んでいたほどの恐怖心を持つ必要無し!と思います。

 1時間ちょっと部屋で待機して、再度呼ばれ今度はレントゲン撮影。
撮影台に仰向けになり、腕を上げて待っていると、
撮影器具が、顔ギリギリに降りてくる。
しかも、撮影器具の縁が鼻すれすれの位置で目にも近づいているので、
目をつぶっていても、怖くて怖くて仕方がなかった。
先端恐怖症があるので・・・これは仕方がない。

10分ほどの時間を要し、上と横からと撮影。
ほどなくして部屋に戻ると、麻酔科医からの麻酔の説明と同意書に記入。

今晩の夕食後から、禁食になることを告げられる。
手術時間は15時から。
アルジネードウォーターとOS-1を3本ずつ渡され、
夕食後から、術後の1時間前くらいまでに、
定期的に飲んでくださいと告げられる。
 しばらく曲などを聞きながら、外の風景を見て黄昏ておりましたところ、
主治医の先生やら、同じチームの先生やらが、
次々と訪れて、頑張りましょうねとご挨拶。

 青い空、海、橋、行きかう船と飛行機。黄昏っぱなし。
曲は映画のサントラ

「かもめ食堂」
「めがね」
「プール」
「パンとスープとネコ日和」
「マザーウォーター」等など

 「めがね」なんて、うってつけの曲ばかり。

 落ち着いたところで、母と兄に連絡。

母が具合が悪いし、兄は仕事の都合で来られないかもしれないと
病院側に伝えて、最悪一人で手術を受けることは出来ないものかと相談していた。
母は熱が下がったので来ると言い、
兄は、両方が心配だから来ると言ってくれ、
結局二人が来てくれることになりました。

そしてふっ、と思う。
将来的に、御一人様になったときはどうするんだろうか?
まぁ、代理人を雇うしかないだろうな。

今日はゆっくりして、明日に備えよう。
消灯時間になると、隣のベットから煌々とついているテレビの点滅。
事前に用意した、蒸気でアイマスクと耳栓のおかげで
ぐっすり眠ることができた。

『まだ実感がわかない』

本日手術日を迎えました

おはようございます。
いつも通りに5時30分に起きてしまった。 

眺めのよい窓際になり、しばし現実逃避
出来るほどの景色が広がる。
青空、緑地、海、橋。
気持ちが晴れる。

同室になられた方々は、皆様
抗がん剤治療中らしく、 
寝ておられ、お声をかけて
よいやら、わからず、
とりあえず、会釈はしている。
しかしながら、本来は人見知りなんで
いささか、気まずい。

手術時間は15時に決まりました。
先ず最初は空腹との戦いからだな。
プロフィール

しろみ

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