ひねもすミシン

人生日々ぶつかり稽古 洋裁作品をUPしています。 他に旅行記や闘病記なども。

2012年02月

その時のために

今日面会に行くと、ととさんが急に歌を唄いだした 。

ムクッと起き上がり、ちょこんと座り直し急に
「ヨーエ サノ マッガショ エンヤ コラマーガセ エエヤ エーエヤ ~」と最上川舟歌を
唄いだしたのだ。
「ととさん、ここで踊りましょうか?」と言うと看護師さんが笑い出した。

私が子供のころ、民舞を習っていたので、この唄が発表会などで流れるたびに
「いいねぇー」と言っていた ととさん。なにか思い出したのか。

数日前に、母が看護師さんに呼ばれた。
「もし、自宅に帰れるとしたら今ぐらいの内だと思いますので
ご希望でしたら、手続きを取りますが・・・」と言われたらしい。

一日中点滴をして、モルヒネ投与もし、
吸引もしなければ呼吸も楽にならないのに、どうして帰れるのかと
疑問だったが、外出許可がもらえるほど回復したのならと、
いくつかのクリアーしておきたいことを
逆に質問したところ、主治医と連絡を取ってみるとの話で、
返事を待っていた。

すると、先生が来てくれてつまるところ「お家に一度くらいは帰してあげたいけどね・・・・
という話はしましたが、医学的から言って、それは難しい状態です」と言われました。

「はい。リスクを負ってまで家に連れて帰ろうとは思っていませんが・・・
あの?あれ?家がどうしても連れて帰りたいと申し出たわけではなく、
看護師さんから、どうですか?と打診されたので、じゃぁ、
いい機会なのでと申し上げただけですが」
と返事すると、先生が大変恐縮されて、帰って行きました。

主治医と看護師の間の連携が取れていなかったようで。

『医学的に見て、家にはもう帰れない』

帰れるほどにまで、回復したのかと思って喜んでいたら、
余計に「あぁ、もう絶対だめなのね」と思い知らされた瞬間でもありました。

残された時間、ととさんとまともに会話したい。
色々話しておきたいのに。
会話にならない、この副作用はなんとかならんのか。

そして今日、母と二人で斎場を見学してきた。
あと、私らが最後にしてやれることは、ととさんらしい、ととさんが喜ぶような葬儀を出してやることだ。

場所は、自宅からは遠いが、ととさんが長年勤めた会社がある町で
福島からくる、親戚の交通便がよい上野近辺で探した。
というか、偶然ネットで見つけた斎場がそこだったのだ。

祭壇は飾らず、花祭壇にする。
親戚縁者が泊まれる部屋があること。
ゆっくりとお別れが出来るように、24時間滞在できるところ。

こんな我儘出来るところがあるだろうかと思っていたところ・・・ありました。

2日間ワンフロアー貸切、リビング風の造りで、
同じ部屋に宿泊する部屋、お風呂もあり、24時間故人に付き添って
あげることができる理想の斎場でありました。

斎場というより、旅館やホテルに泊まりに来たような感じの部屋でした。
あまりにも理想的で「ととさんに見せてあげたかった、ここでやるんだよ。この町でって」と
思わず涙声になってしまいました。
ととさんなら、きっと気に入ってくれて「ここでやりたい」って言ったに違いありません。
家の場合は、斎場選びが遅すぎましたね。

ただ、親戚の一部が騒ぎそうです。
祭壇もない家族葬だなんてと。見慣れないだけなのに。
早速今日、苦情の電話をいただきました。
まだ、ととさん死んだわけじゃないのに。

今日のととさんの一言
「俺は知っているんだ。裏話を全部。裏話だぞ」
前後の脈略もなく、裏話。
なんの裏話だよ!!

『心の準備も』

これが本当の支離滅裂

先々週の日曜日に、ととさん がまともになったのは、薬を抜いたからだ。

腹水で胃や肺が圧迫されるのと、肺に癌が転移した関係で、
とにかく息苦しさと、すこし動くと咳が止まらなくなるので、
「オプソ内服液」を使用していたようだ。

しかし、即効性はあるが、持続性がないために、
点滴のモルヒネに変えるために、一時的に薬の使用をやめたので、
まともに話せるようになったんだと思います。

今は、24時間シリンジポンプでモルヒネを投与しているので、
話はできますが、支離滅裂な会話で、
幻覚を見たり幻聴を聞いたりで、
会話が成り立たず、最後の時間を、ゆっくりと会話をして
等ということはできません。

点滴のみの栄養なので、頬はコケ、あばらは浮き出て、
修行僧のようです。
母親のオーガニックコットンのスカーフを首に巻いてあげると
まるでガンジーさんのようです。

長年持っていたお守りを、この入院期間中に無くしました。
ベットサイドのS字フックにかけていたのですが、
ととさんが、夜中にガサゴソと動き回った時に、
ゴミ箱に入ってしまったようです。

無くしたとたんに、様態が急変したのは、偶然じゃないような気もします。
そのうちのひとつ、パワーストーンをくれた、兄の嫁さんが、
また同じものをくれたのですが、
それを手のひらに乗せて、大事そうに持って
窓際に置きました。

「ほら、ほかにも沢山石があるでしょう」と私に指を指します。
しかしながら、窓際にあるはずもありません。
「ほらね」とレースのカーテンを上げると、
「あれ?ない?」と首をかしげます。
カーテンをおろすと、「ほらね、あるでしょ」と指を指します。
石ではなくて、レースのカーテンの柄が石に見えるようです。

ととさん、悲しそうに「そっか、カーテンの柄ね」としょんぼり。

翌日は、ベットから出て、車椅子に乗って
ナースセンター内に座らされていました。
落ち着きがないので、観護されていました。

その日に「夜になったら身体拘束させていただく場合がありますので、署名をお願いします」と
書類を渡されたそうです。
翌日にミトン型の手を拘束するものを見つけました。

せん妄になった時、毎晩看病していたので、
どんな様子かわかるので、そんな時に拘束されているかと思うと
ととさんが、不憫で仕方がない。

昨日は、東京マラソンだった。
病院がマラソンコースに近く、表の声援が聞こえてくる。
「がんばってー。がんばってー!!」

「ととさん、みんなが ととさん に応援しているよ」と言っても
ととさんには聞こえず、私たちが来ていることも
数分後には忘れてしまう。

それでも ととさんが、自力でベットから起き上がり
ちょこんと座っている姿だけで、涙が出る思いだ。
よく頑張ったね。よく耐えたね。

今は上手く喋れず、目も片方が開かない状態で。
弱々しく、手を握ってくるけど、
ととさんのベット周りでは、まだ家族の笑い声が絶えない。
だって、余りにも支離滅裂なことを言って笑わせるんだもの。

今日は「援助交際!」と突然言い出し、兄を笑わせた。
何回聞いても「援助交際」と言ったらしい。
ととさん、いい間違いが日ごろから多かったからな。
何を言いたかったんだろうか。

『色々書いておきたい』

余命

ととさんが入院して、一週間以上たったわけだが、
毎日めまぐるしくて、仕事をしていても、病院にいても
時間の感覚がおかしくなっていて、暗くなって明るくなって・・・くらいしかわからず、
同じ日をグルグル繰り返しているような気がする。

入院してしばらくは、検査が続き、
なんとか自力で食事をしていた。
兄が見舞いに来た翌日あたりから、様子がおかしくなり、
自力で何かをすることが出来なくなっていた。

2月14日に主治医に呼ばれて、腹水がたまり、病状もよくなく
あと持って2か月と余命宣告された。

去年、緩やかな余命宣告をされたが、いきなり2か月と聞かされると
何をどうすればとオロオロするばかりだが、
母が「苦しまないように、とにかくそれだけです」と言うのがやっとだったと聞かされた。

14日を境に、一気に病状が進み、目を開けることもできなかった。
話しかけると、返事もしないが、看護師さんが名前を呼ぶと
元気よく返事をしていた。

「ひどくないですか?私が話しても返事もしない」とブリブリと私が怒ると
看護師さんが笑っていた。
身体が辛くても、なんとか「おどけてみせよう」とするので
かえって痛々しい。

食事が運ばれてきたので、メニューを見ると、お祝い善の日だった。
入院患者さんの、その月の誕生祝をするためのメニューで
なんと赤飯が出てきたのだ。

『お祝いってさ・・・』となんともやりきれない気持ちで、
父親の口に、赤飯を運ぶ。
すると小さく開けて、やっと食べると
「うん、美味い。これは美味いぞぉー」と目も開けずに
うわ言の様に言うのだ。
菜の花のお浸しに、すまし汁を少し飲ませた。
子供のお食い初めのようだ。

そのあとも、看護師さんが薬を持ってきて、飲むように口を開けさせると
ガリガリと薬を噛んでしまった。

そのあとで飲ませた水が美味しいと、噛みしめながら飲んでいた。
もぉ、水だが食べ物だか分からないのだが、
反応的に口に入るものは噛もうとするのだ。

病院から出て、たまらず泣いてしまった。
『たった一日で、こんなにも悪化するもの?』と
悔しくて、悔しくて、覚悟が出来なくて、出来なくて、
ただひたすら、歩いて家に帰った。

不思議なことに昨日の日曜日と、今日は、意識がはっきりしており、
受け答えができるようになった。
「お父さんが喋れるから早くおいで」と電話がかかってきて、
脱兎のごとく病院へ行った。

今日は親戚筋が来てくれて、ととさんに面会した。
思ったより喋るし、笑うしで「今日は本当にうれしい」と連呼し、
叔父も叔母も涙を流していた。

ラシックスとソルダクトンを点滴したおかげが、かなりの尿が出て
腹水も一時より少なくなったので、肺の圧迫がなくなったのか
呼吸も楽になったようだ。

今日は自力で寝返りをして、ベット移動のために
車椅子に乗ったが、咳き込むこともなく普通にしていた。

良くなったり悪くなったりの繰り返しで・・・と聞く。
これから半休などさせてもらい、
色々とその準備をしなければ。

『ととさん』

単なる風邪ではなさそう

今日は、兄が面会に来てくれた。

ととさんが、しきりと兄に会いたがった。
なので、連絡を取るとすぐに来てくれた。
さすがに嬉しそうで、久しぶりにベットの周りに家族が揃った。

今日はセフメタゾンではなく、メロペンを投与していた。
同じ抗生剤だが、メロペンは多くの種類の菌に効果があり、
重症例で原因となる菌がはっきりと解らない段階で使われることが多いと
ネットに書かれていた。

そのキーワードから色々調べ、最近の父の検査内容や
看護師さんの話を総合すると、
単なる風邪ではなく、もしかしたら「敗血症」なのではないだろうかと思った。
その原因もなんとなく思い当たる節がある。

また、ととさんのお腹が、蛙のように膨れているので
そちらも心配だ。

主治医からは、来週には病状の説明をすると言われているが、
敗血症が原因で肺炎を起こしかけているのではないだろうか。

思い当たる節を、主治医に言ってみよう。

やはり兄はさすがである。
離れていても、要になっている。

ところで、ととさんが言うには、今は亡き婆ちゃん(母方の)が遊びに来ているそうだ。
自分の周りをうろちょろとしているらしい。

『そりゃないぜ』


着物地のバック

渡部サトさんの「着物地のバック」という本を買った。
表紙にもなっているラウンドバックの形が可愛かったので、作ってみたが。

買ってきて型紙が付いていなかったことに気が付いた。
まぁ大体、製図を見れば作れるかと思ったのだが、
丸みを帯びているので、微妙なカーブの引き方で、シルエットが変わってしまうので、
結局はオリジナルなバックが出来上がってしまった。
写真でみると、本物は、もうちょっと緩やかな膨らみでした。

P1060145
形はほぼ一緒なのだが、膨らみがキツイ感じがする。

P1060134
横から見た図。

P1060137
雲に蝙蝠柄の中袋。

こなに膨らみが出てよかったんだろうか。
カーブとカーブを縫い合わすので、正面から見ると
お面のように緩やかな突起が出来て収納アップという製図である。

そうそう、玉縁は外せないので、入れてみました。
そして、持ち手を長くして、肩から掛けられるようにしました。
中にもポケットを二つ作って、マグネットホックを付けましたが、
膨らみがあるので、結局ホックをすると、膨らみがつぶれてしまい・・・。

見た目よりも収納力があると、説明文には書かれていましたが、
長財布を入れると、殆どふさがれてしまい、ポーチが入って
メガネケースが入って、パンパンに膨れてしまい、
マグネットホックが出来なかった。

また、持ち手幅が5㎝もあるので、肩からは掛けにくい。

最初は製図通りに作って、これから自分なりに製図をし直して
再挑戦してみたいかと思います。

雲の着物生地に、ナイロンの黒地を合わせ、
中袋は、雲に蝙蝠柄です。
全部家にあった余り布で造った割には、統一感があったな。
やっぱり「好きなもの」を買ってくるから、自然と偏っているのかな。

さて、徐々に改良していきますか。

『まぁ、まぁ、可愛いかな』
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