ひねもすミシン

人生日々ぶつかり稽古 洋裁作品をUPしています。 他に旅行記や闘病記なども。

2009年10月

仮退院してきました

父親が今日から4日間だけ家に帰ってきました。

連休が続くので、先生も不在がち。
ダメもとで外泊を申し出ると、4日間もいただく事ができました。
あぁ、私も仕事休みたい。

仕事を早めに切り上げ、病院に迎えに行きました。
夕食を済ませた父親が、ベットの上にチョコンと座っていました。
身支度を済ませ、外泊許可証を記入して、
いよいよ出発です。

しかしながら、思いのほか父親の歩調はゆっくりかつ、歩幅がせまく
支え無しには歩けません。
この一カ月、ほとんどベットの上で寝ていたので、
無理もありませんが、これから退院しても
寒さに向かうので、散歩もできず、ますます足が弱るのではと不安がつのります。

まぁ、先のことを心配してもしょうがないので、
今出来ることをする。
それしかないですね。

しかし、食事面からいろいろ、
人任せだったので、この四日間は
母と私の勉強会ですな。

頑張ります。

まずはゆっくりしてください』

せん妄なのかもしれません

腸閉塞で入院してから、気になることがあります。
夜中になると、父親の言動がおかしくなるのです。

「夜になっても眠ることができない」という父親のために
睡眠剤が出ましたが、飲みだした日から、
夜中に突然騒いだり、徘徊したりするのだそうです。
昼間に面会に行っても「今までそこに、○○さんが来ていた」と言ってみたり、
母親がベットを取り囲むように3人も立っていた・・・と言ったり。

母親が今朝面会に行くと、立ちあがって荷物の整理をしていたので
「お父さん何しているの?」と聞くと
「何をしているのかわからない」と答えたそうです。

その後、私が面会に行くと、
「ここに女の人が入ってくるから(入院してくるから)
個室に移ってくれって言われた・・・」と言うのです。

「男性用の部屋に女性が入院するはずないでしょう?なに言っているの?」
と聞くと「見ていろ、明日になったらわかるから」と答えました。

あまりにも言動がおかしいので、看護師のところに行って確認しました。
若い看護師に「最近、父親の言動がおかしいのですが」ときりだし、
部屋の移動について聞きました。
すると、話しが聞こえたのか、ベテランの看護師が
「勘違いです。勘違い。大部屋への単なる移動ですから」と
顔をしかめながら、話を遮るように答えられました。
その遮り方と言い方が、いかにも「また始まった」という感じなのです。

夜中はどんな感じなのか、話を聞いたところ
「睡眠剤が合わないのか、そわそわしたり、ごそごそ動きまわって
荷物の整理を始めるんです。昨日は廊下を歩きまわっていたので・・・」

なんにも対応しないの?おかしいと思わないの?
と突っ込みたくなりました。
母も今朝がた、看護師さんに「言動がおかしいのですが」と聞いたそうです。

気になったのでネットで調べると
「せん妄」
というキーワードがヒットしました。

始めて聞く言葉です。

術後せん妄とは、手術をきっかけにしておこる精神障害。
手術の後、平静になった患者が数日たってから、
急激に錯乱、幻覚、妄想状態をおこし、
1週間前後続いて次第に落ち着いていく症状。

そのほかに、父親と同じような症例が書いてありました。

「見当識障害」
時間や場所、人物がわからなくなる。
人によっては幻が見える(幻視)。
亡くなったはずの家族や知人がベッドの側に現れたという。

奇声を発して暴れたり、夜間に徘徊したりする場合もある。
中には点滴や排尿の管を自ら抜いてしまったりする。

そして、父親と同じに『荷物整理』を頻繁にする人もいるようです。
まぎれもなく『せん妄』でしょう?

入院からのストレスにより、起こっていることだと思われますが、
認知症にでもなったのかと思いました。

ネットで調べてそうだと、確信するのもどうかと思いますが、
看護する側(病院)が、すでに認識してくれて
ケアーしてくれていることを願います。
だって「ネットで調べたんですが、せん妄じゃないんですか?気づいてないんですか?」
なんて突っ込めませんからね。
ここ数日、睡眠剤の薬をいろいろ試してくれているらしいと聞いたので、
とりあえずは様子を見よう。

そうそう、父親の腸閉塞の手術ですが、腸自体は切除しておりません。
絡まった部分をほどいただけです(っていう表現もなんですが)
しかしあと半日、手術が遅れていたら腸が腐って
腸の一部を切除しなければならない状態だったようです。
なんとか持ちこたえて、抗がん剤が抜ける4週間後までがんばって
その後に耐えきれなくなって手術。
あと半日遅かったら、腸を切除しなければならなかったはず。

なんと土俵際で頑張る父親なのでしょうか。
相変わらず運がいいぞあんた。

『ネットが頼りに』

なんとか順調に回復しております・・・か?

緊急手術時は、大変な思いをいたしましたが、
本日より、また流動食が始まりました。

「20年前にやった盲腸から、腸閉塞を起こす人もおりますから」
と言ったのは先生で、
人間、やたら腹を風にさらすのは良くないのだと思いました。
誰が言ったか忘れましたが「腸を空気にさらすと錆びるんだ」と言ってました。
まんざら嘘じゃなく、錆びから動きが悪くなるということか。

「だから俺はアルコールを射す」って酒を飲んでいたような・・・。
アルコールは錆びには関係ないし。

父親の場合、一番最初の手術時より、
腸閉塞になる兆しがあったのかもしれません。

腸が狭窄していたのではなく、腸が絡み合っていたなんて。
腸がぎゅぅーっと結ばっちゃったような・・・。
そりゃ、痛いですわな。

そして父が、お決まりの約束事をしてくれました。
「もう次の抗がん剤の点滴をしている」とふてくされています。

そうです、抗がん剤ではなく、抗生物質の点滴です。
「だぁーかぁーらぁー、前の手術の時も言ったけど、
抗生物質だろうが!!」

あぁ、そうだ。と気がつく父。
丸めていた体を伸ばす父。このバカたれが。思い込み人間め。

腹の傷口のための抗生物質は、親指の足にも効いたのか、
あれほど副作用でジクジクしていた傷が、渇いて治りかけていました。

「すごいね。体の内側から効くってのは、すごいね」と思わず感心。
整形の先生は、切開して爪を抜くしかないなんて言っておりましたが、
この様子では治りそうです。

そうそう、治ると言えば、
前回の抗がん剤投与から6週間が経ちました。
父親の顔がすっかり元に戻り、綺麗な肌になりました。

吹き出物の上にニキビが出来ているような
そんな酷い状態でしたが、すっかり吹き出物もなおり、
手足の痺れも、気にならなくなったそうです。

28日(水)で丁度6週間。
父親の場合、それぐらいで抗がん剤が抜けました。

後は、腹の傷も順調に回復してくれることを願います。


『頑張れ細胞!』

緊急手術

水曜日の夕方、父親が再度腹痛を訴え外来に行き、
そのまま緊急入院しました。

「胃が痛い」と母親に訴え、そのままうずくまったそうです。
今の時間なら、主治医もまだ病院にいるはずだと、病院に向かいました。

採血とレントゲンを撮ったところ、
腸閉塞ではなく、胃に原因があるのではとの見解で、
翌日、内視鏡で調べることになりました。

昼頃に連絡を入れると、またイレウスチューブを入れたと聞かされ、
1時間もたたずに「緊急手術をすることになった」と連絡が入りました。

先生の話だと、昨晩まで腸閉塞の兆しはなかったが、
朝には、腹部が膨らみ腸閉塞の症状がでたので、
レントゲンを撮ったが、ここまで悪化すると
手術した方が早いといわれました。

あっという間に手術室に運ばれ、手術室の前で父親を見送りました。
入口が開き入る瞬間、父親が腕を上げ、握手を求めてきたので、
動き出すストレッチャーを追いかけ、父親の手を握りしめました。

2時間足らずで、看護師が手術が終わった事を告げに来ました。

あまりにも速かったので「腹膜播種があり、なにも出来ず閉じました」
と言われるのではと、不安感がつのります。

手術室から出来た先生は笑顔で、
「腹膜播種はありませんでした。見た限り肝臓への新しい転移もありません。
まず転移の心配はありません。腸が二重に絡み合い、このように・・・」と
デジタルカメラで腸を見せてくださいました。

安堵したのもつかの間、なかなか父親が出てきません。
やっと出てきたら、挿管チューブが入ってバッグされていました。
術後、挿管チューブを抜いたところ
ヒューヒューと喘鳴が聞こえ、自発呼吸ができず、
喉を見たところ炎症を起こしており、気道の一部が狭窄しているようで
人工呼吸器につなぐことになりましたと説明を受けました。
手術前にイレウスチューブを入れたりしたので、それが原因でしょうか。

兄がその後来てくれて、状況を説明。
しばらくして面会許可が出たので、ベットに近づくと
意識がない父親がいました。
呼吸器につながれ、目が半開き。
声をかけても反応がなく、両手を拘束されていました。

「薬で眠っておられますので、大丈夫です」と声をかけていただきましたが、
意識の無い父親に、一生懸命話しかけてしまいました。

今日面会に行くと、父親の意識が回復しておりました。
一生懸命話しかけましたが、父親は何か訴えたいらしく
私の掌に何か文字を書きますが、一向に判りません。
そのたびに、話そうとして、苦しそうです。

そこへ主治医が来て、挿管チューブを抜くことになりました。
「しばらく様子を見て、ダメならまた入れますが、とりあえずは
大丈夫でしょう」と言われました。

短時間の手術だったので、麻酔の後遺症もなく、
すぐに会話ができました。
ただ、少し聞き取りにくいところはありましたが
なんとか大丈夫のようです。

後はまた、傷口の回復が気になるところではありますが、
とりあえずは、腸閉塞の原因もわかり一安心しました。
腸閉塞でガスが出ず、胃が圧迫され胃痛をともなったのが
原因だとは思いますが、落ち着いたら、内視鏡検査もして
もらおうと思います。

そうそう、今回も母がやらかしてくれました。
人工呼吸器につながれた父親を見た後で、
「お父さん、いびき かいて寝ていたね」と。

たしかにズゴォーって音はしてますが、
お母さん、あれは人工呼吸器の音であって、いびき じゃありません。
「あら、そう?」
こんな母でありあすが、だからなのか、
家はまだまだ大丈夫です。やっていけます。


『お疲れ様でした』








峠を越しました

おかげ様で昨日、父親が退院しました。

来週あたりまでかかるかと思いましたが、
なんとか無事に退院することができました。
腸の動きが良くなり、食事面の心配もなくなりましたが、
病院食で出るものは、すべてすりつぶしてあるか
細かく刻まれているものでした。

しばらくは、家でも細かく切ったりしなければ
ならないのでしょうか。
病院任せだった食事面、本当に慎重になります。

また、処方された薬もほとんど腸の薬ばかりで、

腸の動きを良くする「大建中湯」
緩和な下剤である「アローゼン」
消化管運動促進剤 「ガスモチン」
制酸・緩下剤 「マグミット」
アレルギー性疾患の治療薬 「アレジオン」(皮膚のかゆみ止)

これだけ飲めば、頻便になりますわな。
それにしても出なければ出ないで、
そわそわする父親。

母親は、何を食べさせればいいのかと、そわそわ。

体の調子に耳を傾け、ちょっとずつ感じて
覚えていくしかないですね。
そう、産まれたての子供を授かったような感じ?(笑)
たぶん、父は癌を通して生まれ変わったのでしょうか。
もう一度、うーん・・・
「自分を大切にする」ってことでしょうか。

さて、また頑張りますか。

『昼は何にしよう』
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