ひねもすミシン

人生日々ぶつかり稽古

2006年07月

直腸癌闘病日記 №17

7月29日(土)

土曜日出勤。
勤務中に突然携帯が鳴った。
「お父さん、1日だけど帰れるって」母の嬉しそうな声。
早目に切り上げて帰宅してみると
ベットで横になっている父。
「調子はどう?」
「うん、大丈夫」
病院から出てきて、疲れているのか
自然光で見える父親が本当に病後の老人に見えてしまった。

テーブルには、北海道に住む友人より
お見舞いのメロンが届いていた。
「すごぉーい。お父さんまたメロンが食べたいって言ってたら
メロンが飛んできたよ?」
父親が「匂い、匂い」と手を出す。
笑いながら御礼の電話をかけた。

母親と私の悩みは父親の食事面である。
何を食べさせたらいいのか。
あれから父親は更に体重を減らし、とうとう45キロになってしまった。
食事から栄養を取るために、点滴も外されてしまったので、
バランスよく食事を作らなければとプレッシャーもかかる。
・お粥
・カボチャのスープ
・胡麻豆腐
・カレイの煮付け
・温野菜のサラダ

少量ずつ食べて、満足げな父親。
がしかし、食事が終わってしばらくして
ストーマとパウチの不具合により、病院に戻らなければならない事態が発生。
「やっぱり駄目だ。病院に戻る」と気落ちする父親。
これからの生活全てが駄目になってしまったような
そんな顔つきだった。
母親が「せっかく帰ってきたのに」と何回も言う。
とにかく急いで戻る準備をしてタクシーを呼ぶ。
「もし帰れるなら、帰っておいで。ねっ、お父さん」と
車の外から泣きそうな顔で言う母親。
病院に着き、すぐに処置室にてパウチの交換をしてもらった。
「私でも、これは難しいんですよ」とパウチの交換をしながら看護師さんが
慰めてくれた。

ここで1つ勉強したのは、パウチを接着した上から
蒸しタオルをビニールに入れ、接着分を温めるということ。
なるほど、これで付きがよくなる。
父親もこれは初めてだという。
「家に帰られますよね?」という看護師さんからの言葉に
「帰ります」という父親。
安心した。

タクシーを降りると、広場から盆踊りの賑わいと曲が聞こえてくる。
家に帰ると母親が涙目になって迎えてくれた。

7月30日(日)
「寝られた?」
「ぐっすり寝たよ」と父。
朝食もお粥など、食べやすい食事を出した。
朝食を食べた後、窓から見える緑を眺めながら
「気持がいい。いい風が吹いてくる」と
窓辺に座る父。

父親と母親の会話が聞こえてくる。
いつもの日曜日のようだ。
その会話を聞いているうちに眠くなり、久しぶりに2度寝してしまった。

起きると、丁度父親が足湯をしていた。
お湯に手を入れて、マッサージをすると
父親の何とも気持ちよさそうな声。
シャワーは浴びれるが、湯船にはまだ入れないのだ。

足湯の後には、デザートのメロンが。
北海道のメロンにメロメロな父。
「幸せだぁー。昨日帰ってきてよかったぁー」
「よかったねぇ。あのまま病院に戻らなくて本当によかった」と母。

しばらく家を満喫する父。
しかしそろそろ戻らなくてはいけない時間になった。

地下鉄に乗って病院に戻る。
ゆっくりゆっくり歩いて送っていった。

病室のベットに戻ると
「ここはここで落ち着くよ」という。

家に戻ると、
さっきまで父親が座っていたクッションが
父親の背中の形になっていた。
テーブルには、水のみが置いてある。

「侘しいねぇ・・・」と母。
私は涙目になった。

直腸癌闘病日記 №16  

7月26日(水)

本日は会社がお休みのため、
朝から父親のアロハシャツを作った。退院時に着て帰ってきてほしくて。
なんとか夕方の面会時間までにシャツを作り終えて、父親のもとへ。
シャツを見せると早速着てくれた。「いいねぇー、いいねぇー」と小さな鏡を覗き込む父。
久しぶりに見る、父親の普通着姿。やっぱり入院着(?)は似合わないよ。

夕食時間の近くになって父親がポツリと言った。
「ご飯全部食べちゃ駄目だって」
ガスがお腹にたまっているらしく、食事の量を減らすように言われたらしい。
「だって、食べていい分量でだされるんじゃないの?」
「俺みたいな人は、半分残すくらいじゃないと駄目なんだって」
「そんなの、食べる前に言えよぉー!!」と激怒。
「そうだから、真向かいの人も怒ってくれた」

早く健康状態をもどしたくて頑張って食べていたのに、半分残せだなんて。
点滴だって1日1本に減らされて、栄養面で大丈夫なんだろうか。
頑張って食べた と思うのと、半分残さなきゃと思いながら食べるのでは
精神的にも違うだろうし。


7月27日(木)

父親のお気に入り場所になった、病院玄関の階段。
今日も新聞をひいてその上に座って、ぽけぇらーっとしていたらしい。
夕食までに時間があったので、上の食堂に行ってアイスを食べた。
少しだけ父親に食べさせると「うまいなぁー」と言って喜ぶ。

「夢なんじゃないかと思ってさ。この体が。手を机の角にぶつけてみると痛いんだよ。
 やっぱり夢じゃないんだよなぁー」と父が言う。
『だから・・・今生きているんだよ』と心の中で言った。

父親の話では、来週あたり一時退院できるらしい。
3週間くらいは自宅で過ごし、再度入院して、ストーマを落として閉じる手術をする。

「次に何があっても、俺はもう手術はしない・・・辛いもの」と父。

何があっても、乗り越えていかなきゃね・・・。

夕食が配られるときに、一番端に居る患者さんが言った。
「だって俺三日も食べてないんだよ!!」
それを聞いた父親と私は同時に3本の指を突き合わせ
「たかが三日だよ」とこれまた同時に言って笑った。

夕食のおかずを、最初から半分にして、
お粥茶碗のフタにのせてあげた。
「こんなに食べられるの?」と父。
「少ないけど・・・。フタが小さいから一杯あるように見えるでしょ?」
「プリンは全部食べてもいい?」
「食べな。好きなものは全部食べな。その分、他を残そう」

しかし、カスタードプリンとカラメルの苦い味に
父親は「まずい・・・」と顔をしかめる。
へへへ。世の中甘くないんだよ。

看護婦さんに「食べきれる量でだしてもらえませんか?」とお願いをしておく。

『もうちょっと』

直腸癌闘病日記 №15 

7月25日(火)

オナラが出過ぎるのと、ガスがお腹にたまりだしているということで
七分粥から五分粥に逆戻りしてしまいました。
お粥に混ぜていた、海苔の佃煮も禁止になってしまい、
かわりにゆず味噌がついていました。

術後初めてシャワーに入れたそうです。
気持ちよかったぁーと嬉しそう。
お腹の傷がむき出しになっていたので、ちょこっと見せてもらうと、
やはり2度切ったためか、ヘソから下は前回の傷跡より太くなっていました。
1度目が、ボールペンで描いたような傷跡なら、
2度目の傷は、フェルトペンで描いた線のようです。

「最初に傷口を見たときは、変だと思ったんだよ。
へその下までって聞いていたのに、みぞおちまで傷があるだろ。
先生(主治医ではない)が肝臓も削ったって言うし・・・。
変だ変だとおもったけど、そのうち気が付いたけどさぁー」
父親が、肝臓に転移していたと知ってしまったけれど、
そのいきさつを話していなかったので、これはいい機会だと思い、
手術当日のいきさつを話した。

「手術着に手袋つけたまま中から先生が出てきて
切除しますか?ってわざわざ聞くからさ。そりゃぁ切除するでしょ。
そのあいだ、お父さん腹むき出し状態なんだからさ、早くしてよって思ったよ。」
と言うと、腹がむき出しに異様に反応する父親。
「そうだよ、腹むき出しだよ」とウケまくってました。

抗がん剤が始まるのかどうか気にしていたけれど、
「髪の毛抜けるなぁー。ゴソッと抜けるぞ。でもいいんだぁー」と父。
「なんでいいのよ」と言うと
「真っ黒い髪が生えてくるから」と自信ありげの父。
「いや、白髪は白髪だと思うけど・・・。」
「そうか?抜けたら真っ黒な髪になんるじゃないのか?」
「・・・。」

その後の腫瘍部分の検査結果の話がまるっきりないので、
どうなっているのか不安の種になっている。
しかし、今はとにかく仮出所!

と思ったら、本日食事が後退してしまったので
週末の仮出所が立ち消えにならないことを願う。
 
『大脱走』

直腸癌闘病日記 №14

7月24日(月)

お粥が7分粥になった。
北海道にある取引先のお客様からいただいた、
夕張メロンを切ってこっそり差し入れした。

「メロンが食べたければ、このサラダを食べろ」と
父親が嫌いなブロッコリーとカリフラワーを食べさせる。

「夕張メロンはやっぱり旨い」と食べていた。
「頼むから黙って食べてくれ!」とヒヤヒヤしながら見張っていた。

点滴も1日1本となる。

周りの人たちが続々と退院報告を受ける中、
父親だけが取り残されている感じになる。
「俺、いつから入院しているんだっけ?」と聞く。
「慌てなくても大丈夫だよ。しっかり直していこうよ」
そんな話をしているなか、助教授がいらして、
「調子がいいらしいね。食事して腹痛はない?」と聞かれた。
大丈夫と父親が答えると、
「今週末あたり、試験的に1度家に帰って、調子がよければ
退院日を決めることになるかな」
父親共々喜びのご挨拶をした。

夕食後には、必ず散歩するようにした。
ベット脇のカーテン(仕切り)を空ける寸前、
父親が着ていたカーディガンの前ボタンを外した。
「何それ、一応かっこつけてるの?」と聞くと
「ふふん」と鼻で笑った。

いつも上の食堂まで行くが
今日は目先を変えて、入院棟の玄関まで歩いていき、
外に出てみる事にした。
玄関は2階にあるので、1階まで長い階段がある。
数段事に踊り場があるので、休憩しながらで丁度よい。
久しぶりの外の空気に、父親の足どりも軽やかに
トントンと階段を下っていく。
「おぃ、脱走するなよ」と声をかけると、
久しぶりに父親が大きな声で笑った。

普段から、人の目を気にする人なので
パジャマを着たまま外に出るのは嫌がるかと思ったのだが、
下の通りギリギリまで降りていき、しばらく通りを眺めていた。
人がジロジロ見ているにもかかわらず。
よっぽど外が見たかったんだろう。

母親に携帯から連絡を入れる。
父親にかわると、どこから電話しているのかと聞いてきたらしい。
外にいると嬉しそうに答える父親。
母の驚いた声が、携帯から漏れて聞こえてくる。

『その先にもう一歩』

直腸癌闘病日記 №13

7月20日(木)

腸の動きが悪いので、手と足が冷たい。
点滴が一日3本までとなる
階段を上って3階?5階へ上り、エレベーターで食堂階に行く。

本日の夕食
三分粥(梅干)
お味噌汁(にんじん・大根・サトイモ)
ハンバーグ・にんじん・ブロッコリーの付け合せ
トマトとホワイトアスパラ
ミカンの缶詰

全てサイコロ状に切ってあるか、みじん切りになっている。


7月21日(金)

人工肛門の周囲と2度目の手術の抜糸をする。
主治医の先生が、ハサミをカチャカチャ鳴らしながら
側で待っていたらしく、父親はまた痛い目に合うのかと気が気ではなく
頼むから触らないでくれと思ったらしい。

3分粥(海苔)
カレイの煮付け
サツマイモのレモン煮(ペースト状)
お味噌汁(菜っ葉類)
リンゴ(缶詰)ヨーグルト

食後、上にある食堂まで行って気晴らしをする。
10分ほどいて、歩いて5階分階段を下る。
階段は、上るより、下りる方が筋肉を使うらしい。

帰りかけに、トイレに行くと
お尻から小さなオナラが3回ほど鳴ったとのこと。
思わず話を聞いて、握りこぶしを突き上げ「やったぁー」と小さく叫んだ。


7月22日(土)

主治医の先生から順調ならば、来週あたり仮退院をするような話を聞く。
父親が、今朝身体を拭いてもらっていた時に、
看護師さんから「随分痩せましたね」と言われたのがショックだったらしく、
またもや落ち込みモードに。
看護師さんから言われる、何気ない一言でかなり動揺するようになっている。
それだけストレスが溜まっているようだ。

また、昨日のオナラは勘違いかもしれないとまで言い出した。
わき腹から出る感覚と、尻から出る感覚は
明らかに違うと思うのに。
看護師から言われた「痩せた」というキーワードで
父親の全てがブルーになった。

あのときに病院に行っていれば、
もっと早く気が付いていれば、
この先、人工肛門を外して通常の機能を使う時に
便失禁などして苦労したら・・・

等と色々言うので、
思わず「先の事をうだうだ言ってもしょうがないじゃん!
やれることを1つ1つやるしかないでしょう!」
と言ってしまったのだ。

一番辛いのは父親だ。
正直な気持ちを、愚痴を言えるのは家族だけなのだろう。
また、それを受け止めてくれると思ったのだろう。
判っていながら、ついイラついて言ってしまった。
毎度のパターンである。

父親の生きることへの執着心のようなものが
今ひとつ見えてこないので、そこを攻撃されると
私はいつも爆発するのだ。

父親の食事が5分粥になった。おかずの大きさも通常通りとなった。
点滴も1日2本までと減った。
夕食後、また食堂まで行き、帰りに階段で下りてくる運動をした。

『未熟者です』

しかし、今日行けば、
また何事もなかったようにしているんだろうなぁー。
私がこんなに落ち込んでいるのに・・・落ち込み
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